横浜市長選挙を終えて

大変遅くなりましたが。

林市長、落選おめでとうございます🎊

林市長のキレ気味の写真が出るかなあと思ったんですが選挙最終日も最後の登庁日も、市長の部屋で書類をぶん投げた時の様子ではなく、まずまず穏やかそうな感じだったので、林市長を推してくれなかったスガさんが推す小此木さんは落とせたし、林市長や横浜行政と交流があり、自分への評価がほかの候補者の評価に比べて高かった横浜市大の山中さんが受かって、後継者をつくった部分もあり林市長的には満たされているのかもなと妄想しております。

選挙でカジノは白紙と嘘をついた林市長をリコールをしたいと動いてきた以上は、そして、林市長が立候補した以上は、再選させる訳にはいかないと落選運動をやってきました。

リコールや住民投票の次は選挙だー!ってなっている人も多かったように思いますが、林市長を辞職させるリコール運動や林市長を落とすという落選運動と選挙活動は全く異なるものになります。

リコールをしたら市長選はどうするんだという意見や質問がよくありましたが、林市長をおかしいと思っていても、入れたい人はみんな違うことは一般社会では当たり前の現象です。

だってリコールは宗教でも組織でもないのだから。

同じ組織や政党でもある住民投票でも、あれだけ候補者を出す出す騒ぎをしておきながらもギリギリまで候補者を出せなかったのは、色々ややこしかった訳で、カジノをとめるための運動と選挙を混ぜることがいかにおかしいのか選挙が終わった今ならイメージが出来るのではないでしょうか?

そもそも住民投票も市長選のためにある訳ではないのに、住民投票でダメなら、その怒りで市長選に繋げて勝とうって言って動いてた政党の人達がすぐに議会で否決されてしまう住民投票の署名をやったのは『市長選のため』

(市長選のためにも市民にリコールで動いて欲しくないからリコールの妨害しながら住民投票を進めただけ。カジノ問題ではリコールがあったことすら触れない各政党。全ては『市長選含め選挙のため=市民のためではない』)

で、その肝心の市長選は国政選挙のための市長選でもあり、真のカジノ反対とか唯一のコロナ専門家といいながら、カジノ反対なのかもコロナの専門家なのかも疑問を持たざるを得ないような方であっても、最初に嫌だと反発したとしても、国政選挙のために勝つためにあっという間に切り替えて大絶賛しながら推したことは、勝ちたい政党にとってなんてことないということが、よく見えた形になったかと思います。

私としては今回の市長選は、まずは林市長そのものが問題であり『林市長にいれないようにしよう』『嘘つきはダメだよね』という主張をしてきました。街頭でも『これって林市長のこと?』という質問が来たり『林市長じゃない人にいれて来たよ』というやり取りを街頭でしていくことが出来ました。こちらから自ら呼びかけることなく、ただ見ていく人、見て疑問や賛同で近づいてくる方などがいらっしゃいました。誰かを推すことより候補者のどの方も嫌だと思う人が『林市長のがマシ』と思わないように、林市長のやったことをまずちゃんと評価しそれに値する立場(落選)にさせて行くことに重点を置くことの大事さを改めて実感した市長選挙となりました。

Twitterでは『誰も推せないくせに』ってイチャモンつけられたこともあったけど、市民の方を向く人がいるとは思えない状態で、候補者の中から無理やり推す人を決めて推さなきゃいけないという意味不明な固定観念は、政治が趣味です層にはありがちだけど、そんな義務なんて一般的な市民は持ってないですよね。

市民のやるべき事は自分が政治に関わることを放棄しないことだと思います。

それは投票という狭い話ではなく選挙前も選挙後も声や行動に出していくということ。

今回の選挙で横浜の問題点を知った人は誰かが代弁してくれるのを求めるのではなく、自分で声を出して行かないと候補者も議員も政党も声を聞こうとしないんだというところまで考えてもらえたらいいなと思います。

市長選でも市長選後でも選挙で投票率を上げようという動きがよくみられますが、そういうのを見る度『北風と太陽』という話を思い出します。

突然誰かに何かを求めても相手には響かないし、嫌悪感すら覚えるんじゃないかなと。

だって、普通に考えて

『投票率上げよう』

『うん、行くね』

ってなりますかね???

投票率を上げるというのは、特定の政党を落として欲しい、特定の政党に勝って欲しという思いなのか、投票率が上がればなんでもいいという考えで投票率をあげたいのか、目的が見えず投票率だけあげようと言われても上がらなし上がったところで中身のある判断が出来るのかそして選挙で任せっきりにしていいのか、疑問と違和感しか感じません。

今回どうして横浜で投票率が上がったのか、どうして候補者がこんなに出たのかを考えた時、一部ではカオスとか分断とかいう意見もありましたが、候補者が多ければ投票率は上がると言われています。今の横浜の問題点が分かっていれば、おかしさを感じ取っていれば何としても変えたいと思い、選挙に行くかもしれないし、候補者だって自分がこれで勝てるとか、出るとおいしいとか、出ることをサポートしてくれる人達がいれば立候補する人が増える可能性が出てきます。

選挙を待つのではなく、こういった状況を日々の生活の中で自分たちでつくらなければ、政党同士が自分たちの得になるようにしか候補者を出さないし、限られた候補者の中での魅力なしの選挙に対して、選挙に行きたいと思う人は増えていかないんじゃないでしょうか。

選挙に行くだけで何かが変わるから選挙に行こうという気持ちになったところで、

『若い、かっこいい、流行ってる、経歴』などで選べば、実は中身はとんでもない人に任せちゃうことになるかもしれませんし。

何より、選挙で当選した人がなんでもやっていいという認定をもらっている訳では無いのに『自分は選挙で多くの支持を得た』と傲慢だった2017年市長選の林市長、そして今回選ばれた山中氏支援者も同様に『大差で市民に選ばれたんだからすぐさま文句を言わずに見守れ』と山中市長に対しての批判を受け入れないような発言を恥ずかしげもなくしていることからも、選挙で当選したら、選ばれし者なんだと権力者やその支持者が勘違いしている現状はとてもおかしいです。

(有権者310万人のうち150万人が投票しそのうち50万人がその人に投票したからって、印籠のように使うのは市民への冒涜で投票した人にも投票してない人にも失礼でしかないですよね)

このように今、有権者も当選した側も選挙が全てみたいになっている現状を変えるためにもリコールや落選運動はとても重要な役割をしていると思います。

私たち有権者がやるべきことは『選挙で選べば変わる』と思って選挙に託すのではなく、選挙前も選挙後にも政治家がちゃんと働いているかをチェックして、その場の雰囲気で誤魔化されないようにすること、選挙にいくだけで満足すれば実は政治を意識しているつもりでも政治を放棄、放置していることとたいして変わらなくなってしまうことに気づいていくこと。

選挙にいけば変わるという主張は、こういった大事なことが見えにくく、非常に安易で、変えていくための土台や積み重ねていくものが全くないものになってしまうと思うのです。

それは簡単に悪い方向にも進んでしまうものなので、自分の手から政治を手放さず、政治家を育てるというような上目線ではなく自分が成長していくことでしかないと日々思います。

今回の市長選について、記事を書いている方がいるのですが、これだけいっぱい書くのは大変だっただろうなと思うし、細かい所まで見つけられる凄さを感じました。面白いし参考になるし、自分の価値観について考えさせられるので是非読んで見てください。

https://note.com/mousouya/n/n1701d1ea3474

個人的には、『国政選挙が近いので国政選挙が影響しても仕方ない』という捉え方が新鮮で、確かにここに怒る人は多かったけど、それって政党を清く見すぎてたり政党に有り得ない理想を求めすぎているだけなのかもと考えさせられました。

ハマ弁に関しては、

『画像のような冷たい弁当を1食340円で買って出されるのがコレってのは・・・ しかも2018年まではコレが470円したってんだから恐ろしい・・・』ってあったけど、これ値下げじゃなく税金負担での値下げなので恐ろしい横浜市の姿は本当に果てしないですね。

今回の市長選では、直前に立候補したように見える候補者の中にも実は2年前の市長がカジノ誘致を表明した8月22日直後から横浜を意識していた方がいたので、7月に市長選に出ると表明された時にはやっぱりそうだったのかとか思ったと同時に、カジノ反対?でもあなた何かやったっけ?という感想だけでした。

例えば『私、リコールをやりました』って言ってくる人がいまだにいるんですが私リコールやりました、でリコールは成功しないし、それってこちらと同じ目線じゃないんですよね。やってあげたとか参加したというアピールであって 、頑張ってリコールやったけど出来なくて悔しいとかそういう対等な価値観じゃない所に私はよく違和感を感じるんですが、それと同様で、リツしたとか有名人が何かを言ったりするだけレベルでリコールは成功しないし、カジノ反対もコロナ対策も教育問題もなんでもそうだけど『どう関わってきたのか』『どう関わっていくのか』があるかないかがとても大事なことだから、何かを言うだけで変えることや成功することは出来ないと思っています。

だから協力しあおうと応援しているとか表面的な言葉は要らなくって大事なのは具体的なものでしかないんだけど、わりと表面的なところを求めてしがいがちなので中身がどうかにちゃんと気づいていきたいですね。

例えばリコールであれば受任者をどれだけ集める、集めたとかが具体的であったり中身があるもの。(実際受任者をいかに集めるかがリコールの成功の鍵なので、議員だろうが有名人だろうが政党だろうが、『協力するという言葉=受任者がいっぱい集まる』にはならないのです)

政党と混ぜろって言う人達や誰かに期待してる人、協力しろという人たちはそこを無視して表面的に話をしているので一般市民である私達にとってはなんの得にも何かを良くするための保証や確証にはなりません。

住民投票や市長選がその分かりやすい事例でしたね。

前回の市長選の候補者は各々全く別の世界で生きているように思いますが今回の市長選での候補者もまたどう歩んでいくのでしょう???

今回の山中さんの肩書き他、全く別のものに作り上げてる酷さは目立つけど、山中竹春物語ほど盛っていなくたって、選挙って少なからずフェイクな部分があって、ポスターひとつとって見ても、いい人そうな演出したり、実物とかけ離れてり若いときの写真だしてたり、少なからずいかに有権者を騙すかになってるし、有権者もそのフェイクを求めてたりしますよね。

有権者がその人の素ではなく、やってくれそう、理想の相手だ、候補者らしいものを求める以上、フェイクは続くのではないでしょうか、、、

余談なんですが、選挙の数日後、実家で『林市長落選したね』って話をしたら父が『え?林市長落選したの?中山?田中?群馬?』って言ってて、それ、山中さんのこと?それとも群馬じゃなくて長野県知事?って言いたいの????みたいなことを言い出しましたฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!!

これだけ娘が林市長落選運動してても身近な人すら本人が自分で考えようとしない限り、周りは自分の想像をを超えた理解なんだなあって思いました。

政治を常に見ている人、濃く関わろうとしている人、必要最低限見ている人、そうじゃない人の差があるのは普通なことで、Twitterなどのコア層の考えにとらわれずもっと世の中、色んな捉え方があることを知っていかないといけないのでは?と自分の周囲の人達に毎度気付かされております。逆に、政治活動とか全くしてない人のが、偏りなくよく見てるなあって感じることも多いですしね。

(灬º 艸º灬)

林市長、お疲れ様でした。

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